京都市内に生まれ育った者にとっては、二条城の存在はごく当たり前のものだ。
いずれの名所旧跡も普段慣れっこになっている人には、その価値を忘れがちになってしまう。
ふと気付くと、実はとんでもないものが身近にたくさん存在している、二条城もその一つで中学時に訪れたきりであった。
桜をライトアップしているのを知り早速出かけた。

世界遺産二条城徳川家康が1603年御所の守護と京都での宿舎として、現在ある二の丸御殿を家康が建造し、その後1626に三代将軍家光が増築して現在の形になった。
二の丸御殿(国宝)は武家風書院造りで、6棟が並びそれぞれが廊下でつながっていて、一体となっている。
その廊下はうぐいす張りになっていて、歩くとキュッキュッと音をたてる。
本丸の御殿は、明治時代に旧桂宮邸を移築したもので、春と秋の特別公開の以外は非公開。

伏見城から移転された「唐門」(重要文化財)を通り抜けると、御殿の玄関とも言える「車寄」がある。牛車が入れるように、床は石や敷き瓦を斜め45度に敷く四半敷きになっている。見事な彫刻が施されている建物である。遠侍の間、御殿内では一番広い場所で、約1046㎡の広さである。城へ来た大名の控えの間でもあり、一の間、二の間、三の間、若丸の間、勅使の間に分かれている。勅使の間、朝廷からの勅使(使者)を大名が迎える部屋だ。将軍は下に、勅使は上に座る。

式台の間、将軍への献上品などが取り次がれた場所で、主に大名と老中職が挨拶を交わす間である。
大広間一の間・二の間、二の丸御殿で一番格式の高い部屋である。一の間の広さは48畳、二の間は44畳だ。15代将軍慶喜は大名達を集め歴史に残る「大政奉還」をこの部屋で発表した。
これにより、徳川幕府の265年の歴史に幕を閉じ、慶喜も征夷大将軍職を返上することとなる。

他に、「大広間四の間」や将軍が親藩大名などと内輪で対面するのに使用した「黒書院」、将軍が居間や寝室として使用していた「白書院」などがある。
明治時代には離宮になったこともあることから、正式名称は『元離宮二条城』と言う。

毎年桜の季節には、世界遺産重要文化財のアピールすることを兼ねて、二条城のライトに照らし出された素晴らしい景観を堪能してもらうよう、特別イベントとして二条城のライトアップを行っている。

_/_/_/ よろしかったら田中田Web写真集・・・写真紀行 その2をご覧下さい。

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4 件のコメント “二条城 夜桜 〔京都市〕”
  1. yamanaka のコメント:

    このライトアップは凄いですねー。
    単に照らしてるのではない計算されたものがありますね。幻想的で素晴らしいです。

  2. 田中 田 のコメント:

    yamanakaさん 暫くでした!お元気ですか?

    こちらに来られたときはぜひお立ち寄り下さい。

  3. ゆうこ@福岡 のコメント:

    先日はありがとうございました。こちらでも素晴らしいお花見ができました。
    圧倒的な美しさに感激しました。繰り返し、楽しみに拝見します。

  4. 田中 田 のコメント:

    ゆうこ@福岡さん こちらこそありがとうございました。
    そしてブログを見ていただきとても嬉しいです、
    二条城は大変な混雑でなかなか思うように撮れませんでしたが、少しでも雰囲気を感じていただければ幸いです。

    なかなか思うようなブログは出来ないのですが、これからもよろしくお願いいたします。
    又コメントを頂ければうれしく存じます。

    ありがとうございました。

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