秀吉の異父弟(同父弟の説もあり)秀長が、威光を示すために築城した
・愛知県の弥富などとともに金魚の大生産地として知られる大和郡山市 にある城跡
戦国時代に筒井順慶が築城した城を、豊臣秀長が大改修して百万石の居城にふさわしい大城郭を構える。
今に残る本丸、二の丸、毘沙門郭、緑郭は秀長の時代のもだ。藩政時代に新たに構築された三の丸は、市街地になっている。
北東には桜門の石垣が近鉄線路のすぐそばに残る。
秀長のあと、秀吉の五奉行の一人増田長盛が5kmにわたる外郭を普請し、その一部の遺構が整備され公園となっている。
本丸跡には柳沢神社が建ち、その背後に天守台がある。天守台の石垣も見ごたえがあるが、特に北面の石垣には地蔵尊など多くの石仏が使われている。
中でも周辺の寺院から集めてきた地蔵尊を逆さに積み込んだ石垣は「逆さ地蔵」と呼ばれ、今では小さな祠が建っている。これらの石仏群を弔うため、一時は天守台の石垣の周囲に大数珠がめぐらされていたという。
大和郡山城跡には奈良県立郡山高校など二校がある、本丸跡などの各城郭は比較的良く残っていて桜の名所としても知られている。
城跡からほど近いところにある柳沢家の菩提寺・永慶寺の山門は豊臣秀長時代の南御門を移築したもので、これも貴重な遺構である。
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鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)
高台寺のHPより引用==東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。
寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。
造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので、寺観は壮麗をきわめたという。
しかし寛政元年(1789)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と
霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で国の重要文化財に指定されている。
尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正16年(1588)に従一位に序せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の
号を賜り寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。
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